読んだ。
日本の文化だと、どうしても、仕事というのは「献上」モデルになっていると思います。仕事の成果を「献上」する相手の生産性や成果を最大化しようとします。だから「献上する側」が楽かどうか、時間がかかるか?はあまり考慮されません。
日本と米国で異なる「想定する物量」がソフトウェア開発の生産性の違いを生む - メソッド屋のブログ
日本では効率化にあまり意欲がなくて、仕事をすること自体が目的になっているのではないかと思うことがある。
ではなぜ効率化に意欲がないかというと、単に教育システムが効率化を指向していなくて、単純作業で人が沢山用意できればよかった時代のメンタルをひきずっているからだと思う。もしくは、成果を出すのではなく仕事を「する」ことが大事な文化があるからだと思う。つまり「おもてなし」とか「情」みたいなイメージの何か。
そういうモデルは一部業種では有効なのだろうけど、それがとりあげられて有名になった結果バカみたいに神格化されて、全体になんでも適用しようとした結果こうなってしまったのではないかとも思う。*1
「死者への負債」という概念がある。
高い柔軟性は負荷が重い。
*1:この国はなんでも神格化するきらいがあるような気がする。