Lambdaカクテル

集団への盲従を激しく嫌う

マイノリティであるということに関するはしがき

マイノリティにかんする話題に触れ、書き出してみたメモ。

前提として、結論はないし、筋が通ったスタンスがあるわけでもない。結局のところ、わたしは何も知らないし、何もわからないのだ。寄り添うといった言葉の儚さみたいなものがあって、それは傲慢なのだ。

放置、直感、常識に対する信頼度のつよさというのがあって、それが政治的立場に現れるのかなと思ったりした。また対置される価値観として、法、論理、変化、人工に対する信頼度というのがあるとおもう。

私にも大なり小なりマイノリティな部分があるが、私より断然マイノリティな属性の人もいるだろう。むしろ誰であれ潜在的にマイノリティになる。

ところでマジョリティであった者たちが社会の変化によりマイノリティになるとき、どういった反応を示すのかに興味がある。たとえば愛煙家であり、たとえば革命により地位を追われた人々である。

マイノリティたることについて考えるたびに自分の思考の月並さというか、考えているようで考えていないような不確かさを感じる。これはあらゆる話題に接した、包括的な話題なのだ。われの思考の枠組みそのものについて考える事柄だ。理解できない・あるいは知らないものごとについてどうすればいいのか、という哲学的な領域に感じられるし、何もわからない。しかし他人を大きく傷つけたくはないのだ。