意味とか考え出したら何もできなくなると思うんだよね、意味付けなんて不要なのだという事を時として忘れてしまう。
僕らは大人になるにつれ、なにかと慎重に、けちに時間を使うようになってしまう。
こんなことして、これはなんなのか?と、突然頭に水をぶっかけられたように醒めてしまうことがある。発作のよう。べつになにかであったとして、何か意味があったとして、歯車に小石が挟まったような感覚はそのままだろう。向き合うべきは小石のほう。
結局ほんとうの意味は心の中にあって、それをあまりに無視して、外的な意味に何かを求めているのだけれど、心の赴くまま何かをすることに無価値のレッテルを貼ったのは、他ならぬ昔の僕自身だと思うけど。あそびの内在的な価値を否定しているのだけど。運命に対する無造作な無責任さが欠けていて、窮屈な思いをしている。
明日東京に部屋を求めに行く。東京の空はまだ蒼いだろうか。