Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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日記

新社会人にとっての自分のおしごと

シン・ゴジラ』を見た(ネタバレはしない).日本を守るために組織の個々人が,最善と思われる方法で地道に怪物と戦う.職業讃歌ともいえる内容で,ただかっこよかった.

じゃあ自分の仕事は何を守るのだろう,自分たちが仕事をしなくなったら困る人などいるのか,という思いが二度目の鑑賞の後で頭にたちこめた. 直接的にではないが,自分の仕事は言論の自由にある意味で与する仕事だ.人々の発信をサポートするのが使命だ.派手じゃないかもしれないが,人を助けている. 思いの丈をぶちまける場所を公正に提供する,いい仕事だ.

より抽象的に,ひとりのソフトウェアエンジニアとして考えるとどうだろう.情報化した世の中で,ある意味ソフトウェアは社会の建材の一部だと言えないだろうか.社会を作る立派なお仕事ではないか.たとえそれが,限られた一部の人にしか見えず,価値が感じられないものだとしても.

誰かのために何かをするという性質を持つ仕事というやつは,何と尊いものであることか.

改造にこそ投資するべき(とは分かっている)

最近部屋に掃除機を導入したい気持ちがある.掃除機に限らず,引っ越しておざなりに用意した部屋の要素を,きちんと再整備して文明化したくなってきた. コンセントの抜けたテレビが床で鎮座している状況は文明的ではない. ソフトウェアエンジニアはナレッジワーカーに入るだろうから,部屋を「きちんと」して知的生産性を確保することは実りある投資だといえる. 体調が悪いとあっさり生産性は落ちてしまうから,住環境は大事だ.

(肉体的な健康のみならず,精神的な健康も重大な項だ.むしろこちらに引き摺られた経験のほうが多いように思えてくる.ナレッジワーカーというよりはメンタルワーカーだなと思ったこともある.)

最近こういうページを見た.

www.kao.co.jp

「殺風景でない」という言葉が胸を貫いた.殺風景!まさに自分が表現したかったことそのものだ.モノは溢れんばかりに存在するのに,どこか人間味のない部屋は,つまり殺風景なのだ.なんだか居心地をよくするための努力をしたくなってきた.ただ生活するためだけの住まいからは,何も生まれないだろう.

そういうわけで,自分は家計に戦略予算を用意するという試みを実践している.現状をより良きものとするために費される物品のための予算だ.ただ貯金との兼ね合いもあって,ろくに用意できていない.娯楽だって欲しいし.ついついお金は無くなってしまうし,積極的に使いたいものでもない.変化するということは大変なことだ.

(そもそも買っても使わない問題もある.家のスペースは有限なので,捨てることも視野に入れたい.買う価値を持つモノがあるなら,捨てる価値を持つモノだってあると思う.積極的に捨てる必要はないが,捨てることで価値をもたらすようなモノ.)

読者の方におかれましては,日常のどこに重点的に投資していますか?

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