Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

他人を懲らしめようとする人,しない人

大麻体験談みたいなのをTwitterで見た.それで,こういうのTwitterに貼るのって法律的にどうなんだろ,ということを同僚が言っていたので,たしかにどうだろうと思った.

同僚の意を勝手に汲むならば,違法行為をしたことを報告する行為,ありていに言えば犯罪自慢について,司法や検察や警察はどういう扱いをしているのだろうか,それは悪いことではないのか,という感じになるだろう.

意外にもよくある誤解だが,まず理解しておかなければならない前提として,犯罪自慢によって捕まったりすることと,それが道義的に受け容れがたいものであるかどうかということとは,分けて議論しなければならない. 一般に犯罪として規定されている行為は往々にして「悪いこと」であるが,警察や司法は善悪判断機関ではない.あくまで警察は,法律によって犯罪として規定された行為を捜査し,これを立件するのであり,司法はこれをもとに罪の有無の判断や量刑判断を行うだけ.小さい頃に「悪い人を捕まえるのが警察」と親から聞かされたかもしれないが,あくまで厳密なルールによって運用されているのであって,直接的に悪い人間,気にくわない人間を処罰するシステムではないことを理解する必要がある.「法律的にどうなの」という言葉に俺が違和感を覚えたのは,なんとなく犯罪と結び付いていそうな事柄については全て警察が介入し逮捕できる,といった文脈を感じ取ったからである.

実際インターネットをしていると,ちょっと見慣れない事をしている人を見かけて「これって違法じゃないの?」と言っている様子を目の当たりにすることが多い.こういった逸脱への恐怖心のようなものがけっこう人々の間にあるように感じられて,そういう感覚へのむずがゆさみたいなものが通奏低音として響いていて,おそらくこれが普通なのだ,俺が反骨的で従順じゃないからそう感じるだけなのかもしれないと自分で自分を納得させる.

話を元に戻そう.こういった違法を匂わせる体験談を警察なりなんなりに通報するということは,成り立つのだろうか? というのも,インターネットに書かれた「犯りました」という文章に証拠能力があるようにはあまり思えないのと,そういうのに取り合うほど警察は暇してるわけじゃないだろ,と思うから.これについてはさっぱり分からない.

まあそういった「何をすれば犯罪として捕まるが何は犯罪ではないのか」が曖昧な状態というのは良いことではない.みだりに市井の人間を萎縮させ,あわよくば相互監視を成り立たせ,支配構造が強化されてしまうからだ. 実際,先述した「法律的にどうなの」という一種の怯えは,これによって生じる萎縮そのものである.

さて,そういう環境にあって,よく見掛ける光景の第二幕が,そういった違法の香りにつられて,それを懲らしめようとする人間が襲来することである. 一言で言えば「通報しますた」である.でも法学を大学でちょっとばっかし修めてからは,それってどうなのよと俺は思うようになった. 確かに勧善懲悪は良いことかもしれないが,正義の名の元にわざわざ告発してどうなるのか.逆らえない他人を懲らしめたいという感情を,法律を笠に着てぶつけているようにしか見えない.そもそもそれは虚しい正義ではないか.自分が作ったわけでもないルールを手に取って,直接の利害も大して無いような他人を懲らしめることに,どれほどの正義があるのか.

もちろん,自分が大切にしているものに火の粉が降りかかろうとしているならば,戦わなければならない.警察や司法はそのためにある. でも大義のため,知りもしない他人を道義的に懲らしめるために公権力を気軽に振りかざせる感情には,うまく言えないが賛同できない感情がある. でも多分,俺だって「琴線に触れる」ひどい何かに遭遇したとき,そういった力を振りかざさない自信がない.

他人の善悪をそう簡単に裁いたりしていいものだろうか.