大きな欠伸でもするかのように,夏の暑さが一瞬途切れている。
Kyoto.なんかで発表したりした。スライドはこれ。
Kyoto.なんかはついに5周年を迎えたとのことで,京都でこういった技術的コミュニティが存続できているのはとても素敵なことだなあと思った。 発表まで時間があったので,バラエティ豊かなトークに見入ったり笑ったりしながら自分のスライドの微調整に励み,ついに出番がやってくる。
仕事にも私生活にも共通してプログラミングが介在するがゆえに,また無駄を省いた合理性を好むがゆえに,ソフトウェア開発者はその暮らしの伸びしろを自ら狭めてしまいがちである。 檻の中にあって水場争いも狩りも必要のない飼育された動物には野生で発揮される生気がない。しかし我々は,進んで自らを檻に入れ,己の羽根を伸ばすだけの空間を奪ってしまう。 そうやってできた狭い檻がいざなう必然として,心身の不調を訴えることになる者は一人や二人ではなく,自分もその一人である。
人間が人間であるために無駄をやるべきである。特にソフトウェア開発者は努めてそうすべきである。しかもなるだけ思索の触覚を刺激しないように,いつでもできて,たいてい成功し,長持ちする無駄だとなおよい,という意図の発表であった。
思考リソースが奪われて不調が持続してしまう,という文脈で,この本も紹介した。
いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: センディルムッライナタン,エルダーシャフィール,Sendhil Mullainathan,Eldar Shafir,大田直子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2017/01/07
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (6件) を見る
名だたる技術者が技術的な発表をする中でこういったやや脇道的な発表をするのはチャレンジングであったが,意外にも会場は沸き立ち,評判が良かったことがわかったから嬉しかった。
しかしそれ以上に,その後の懇親会で交わされたやりとりが梃子のように効いた。
自分はなんでも人に話すタイプというか,あけすけな所がある。その延長線上で,Twitterにも結構思ったことをそのまま投稿してしまいがちだが,これを改めることにした。 特に,自分の中の薄暗い部分を敢えて露呈させるような発言は,しないようにしようと決めた。
TwitterをはじめとするSNSは,ある意味でもう一人の自分であり,長期にわたって同じアカウントを利用していくことが予想される。今自分が使っているTwitterアカウントは,おそらく高校あたりから使っていて,何度かアカウントを消したりしたものの,自分の人生に寄り添ってきた。インターネットを通じて知り合う人が始めて知るのはこのインターネット上の人格であり,そこに対して信頼感やどういう人なのかというイメージが醸成されていくことになる。
ところが,自分はしょっちゅうありのままに感情が暴れている様子をTwitterに上映してしまっているので,不必要に自分の印象を悪くしてしまうというか,本来築けるはずの信頼感を壊してしまう。長く運用されているアカウントにはそれなりの信頼や交友が生まれ,実際に対面で会うという展開もあるのだが,会わない人間にとっては,いつまでも自分は感情的に暴れる,怖い,信頼のおけない人間,ということになってしまう。だいたい友達がいないと息巻いたりしているが,そのような言動が原因で人を遠ざけてしまっているのではないか,ということに気付けていなかったのが,詰めが甘かったなあと反省している。あえて書く理由のないことを書いても益にはならない。
せっかく書き込むのであれば,他人を笑顔にするべきなのだ。わざわざ辛い感情をいつも振り撒いているような人間に集まる人が果たしてあるだろうか。 自分という存在を覗ける窓に映る風景は,晴れが良い。ときには曇ったり雨も降るだろうが,常に秋霜烈日,疾風怒涛である必要はない。 もちろん人間は共通して暗い部分を持っているものであり,そうしたことを否定する必要はない。だがそれはプライベートな場所,直接話すような場所でやればよい。 だから暮らしを楽しんで,その良かったところを書き込むようにしよう。料理をしたり旅行をしたりしよう。感じたり変わったりしよう。考えたり貫いたりしよう。