Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

#builderscon 懇親会二次会会場こと荒川にて、成長したい、刺激が欲しいという話をした

友人に「荒川で酔っ払ってたらジャケット無くしたわ」という話をしたら、Twitter見てたから知ってるぞ、とのことであった。情報化社会ではあらゆることが超スピードだ。3万円は帰ってこない。

初めて見る荒川は思っていたよりも静かで、涼しく、とても広かった。ごちゃごちゃしている北千住の街並みを縫い進むと、突然喧騒が息を潜め、ぱっくりと空が覗いている。荒川を数本の鉄橋が貫いていて、闇の中をどこからやって来るのか、まばゆい灯りをふりまきながら突っ切って進む鉄道は、さながら異界からの使者を乗せた宝船だ。だが宝船はそのままどこかへと去っていく。がたんごとん、がたんごとんと、音が我々を通り過ぎて行く。

Buildersconでは非日常的なお祭り感と、日常と地続きにある技術的発表とが混ざって、楽しい気持ちになる。誰もが技術的話題で笑顔になれる。初めて参加したけれど、良いお祭りだなと思った。

タイムテーブルを見ながらだれかの有用な発表を探している一方で、本当のところはというと、自分は自分を探しているのかもしれなかった。自分に欠けているものを知りたい、という思いに駆られていたからである。 Webエンジニアの暮らしぶりはゲームのようだ。常に変化し続けていたい、昨日よりも前に居たい、走り続けていたい、面白いことをしたいと思うものなのだ。貪欲に知識を吸い込み、柔軟に変化し続けることこそがWebエンジニアの本懐なのかもしれない。しかし自分を置いた現状に自分は満足できていない。まるで、膠着した戦線に不満を漏らす将軍だった。だが戦場がどうなっているのか、なぜ打開できないのか、どうしたらいいのかわからずにいる。今何をやっていますか、最近何をしましたか、あなたは何なのですかと聞かれて、胸を張って何か言えるだろうか。正直に言って自信が無い。就活生でもないし、プロダクトを率いてゴールにたどり着いたわけでもない。キラープロダクトの作者でもない。業界の動向にキャッチアップして情報発信をしているわけでもない。自分の居場所が欲しい。そのヒントを探しに来たのかもしれない。Buildersconには走り続けている人がいる。なんとかして走り方を盗めないだろうかと、歩き回っていたのだ。

はてなに入社してから4年ほどになる。年齢も26になった。Webエンジニアとしては主戦力になり始める時期だと思っているし、いつまでも若者の枠では居られない。だが自分はWebエンジニアとしての方向性を明確に打ち出してこなかった。ざっくりとしたWebと言う枠組みのどこかにコミットしていきたい。

なんとなく大学を卒業してはてなに入ることができて、そこで自分のキャリアに対する考え方は終わっていた。そこから先を考えたことがなかった。本当にWebエンジニアになれるとは、正直思っていなかったから。地元にも大学にもそういったキャリアを歩んだ人間が一人もいなかったし、どういう潮流があるのか、どういうふうに成長したら良いのか、ロールモデルもいない状況でWebエンジニアになってしまった。どっちにいったら良いのか、どうしたら良いのか、進むべき道がどこにあるのか、それを判断する材料がまったく持てずに今まで来ている。自分が今やっている事と、周りのエンジニアたちの話題とがずれていて、置いていかれるような感覚。

刺激が欲しいよね、成長したいよね、という話をおもむろに荒川で始めたのは、その辺の事情による。急にこんなことを言ってびっくりしたかもしれない。だが自分は迷っていて、ヒントが欲しいのだ。

変に大人になってしまったような気がする。何かをやり出すことを恥ずかしがっているというか、客観的な立場から何か言うだけで、安全地帯に引きこもってしまっている。俺はオブザーバーではなくプレイヤーになりたいのだ。 プレイヤーになりたければ何かを実践するしかない。 手を動かしたものだけが世界を変える。自分に欠けているものは実践ではないのか。実践すれば、少なくとも何か糧になるし、それをブログに書けばフィードバックがもらえるはずだ。そういう暮らしをしているうちに、自分はどういう方向が好きなのかが見えて来ると思うし、自分をよりよく知ることができるかもしれない。

設計の書籍は、読むことと実践することとを繰り返す事で成長できる、という話を今日の最後のセッションで聞いた。吸収と実践を繰り返していくのが、刺激を欲しがるエンジニアの暮らし方なのかもしれないなと思った。 自分はこれをポリシーにしているよ、という何かがあったら、ぜひ知りたいなと思うので、教えてほしいです。

結局のところ、自分が進むべき道をどうやって探すのかという話と、自分に欠けているものは経験と実践とチャレンジではないかという、割と陳腐な悩みに帰着してしまう。まあ悩みがある程度明文化されたので、よかった。誰かこの話題で飲みましょう。もっと他人がどう暮らしているのか研究しないといけない。