Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

勘違い / 意志とそれによって作られる未来

間違いが嫌いだった。今もそうだ。言い換えれば、正しさの奴隷である。

科学を「踏みにじって」いい加減な事を言うテレビ番組に始まり、俗説を自慢気に語るYouTuberにさえ、渋い顔をしてしまう。「ふつうの」誰かが勇ましい事を言う裏で切り傷を付けられる側の人間だった。オタクというのはそういうものだ。

オタクなので自分たちの正しさが踏みにじられていることをひそひそと語り継ぐのだが、いざ白日の元に晒されると烈日に溶けてしまうような人たちだから、決して勝負はしないのであった。だから、守られていない正しさが好きなのだ。守られている正しさにはどだい興味がない。

だからいつだって正しいかどうかを気にしている。他人の間違いに厳しかったためである。

とはいえ、間違いを避けようとするほど、客観的に世の中を切り抜けていこうとするほど、「よくわからない、複雑だ、なんとも言えない、断定はできない」という気持ちになっていく。

実は世の中を動かしているのは壮大な勘違いなのかもしれない。こうに違いない、こうしなければならないという勘違いを突き進めて、人は希望や自信を抱いていく。その足跡がいつしか道となり、世の中を見通していた勇敢な戦士として結局は迎え入れられたりする。

世の中を変えるんだ、という熱情はそうした勘違いの一つにすぎない。客観的で間違いを犯したくない人ほどそれを冷たく蹴飛ばし、忌むだろう。だが人を人として活かすのは、そうした狂信じみた確信、勘違いなのかもしれない。

間違いを恐れていては何もできない*1、というのは、そういうことである。しかし、間違いに厳しい世情である。

*1:Sedit qui timuit ne non succederet