不眠の理由の一つとして、眠りに落ちるのが怖いという可能性に思い至る。眠りとは仮死状態、擬似的な死である。眠りを一種の死とみなしていた文化もある。死を恐れているとするならば、眠りという死に落ちることに恐怖を無意識に感じて眠りの一線を越えられないということはあり得る話だ。
しかしながら、眠りは休息、脳を休める行為でもある。束縛やストレスから解放される青いプール、自由である。寝ることで自由になれるという側面を積極的に捉えることも認知の改善に有用であろう。
なんらかの負い目、精神的負債を抱えているために、それを投げ出して寝ることができないという可能性もあるだろう。むあいろ寝ることは自由を得る行為であるはずだが、罪悪感や焦燥感がこれを許さない、といったパターン。
あまりに神経質であるために気がかりなことを傍に置けなくなっているというわけでもある。そこは良い意味で鈍感に、図太くなるのが良さそうである。どっしり構えることで、寝ることを許す。ある種無謀に見えるが、裏付けのある慎重な無謀、すなわち悩んでも良くも悪くもならない、という判断の末の勇気である。