「興味無いね」という選択肢が合法的に奪われつつある世の中だと思う。
情報が供給過多になった情報社会では人々は他人の関心を奪うのに必死だ。 あの手この手で興味を持ってもらおうとする。必死になるばかりで、その中に畳み込まれた暴力性には目を向けていない。
政治的話題だとこの傾向は顕著になる。あなたはどっちの側に着くのですか、と軽々しく考える。当然みんなこの話題について知っているはずだ、意見を持っているはずだ、マジになってくれるはずだという、すでに大きな思い上がりを犯していることに全く無自覚なのだ。興味を持ってくれないことを相手の無知や多数派の暴力としてすり替える人間までいる。それ自体が暴力であることに気付いていない。
興味無いねと言う選択肢は常に合法であるべきだ。