Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

箇条書きの功罪

Scrapboxを使うようになってもう2年が経とうとしている。最初は使い勝手が分からずにページを作っては放置するということを繰り返していたが、最近ではうまく使えるようになった。エンジニアの習性なのかもしれないが、とにかく手当たり次第に見出しを列挙してみて、それを埋めていけば完成するであろう、といった思考上の不品行を思い知らされる。見出しは作ってみるくせに、その分割の適切さについては何も頓着しないし、そもそも何かで分割して埋めれば自分の心をえぐり出して構成できるのかという、本来は真剣に取り組まなければならない問いに目を瞑ってしまうのだ。心や思考は山体のようにどっしりとした一体のものであって、人間が考え出した建築物のようにシンプルに構成されているわけではない。学生の頃にクリティカルシンキングというのでMECEというやつを聞きかじったのが良くなくて、なんでもディレクトリのように階層化して管理すればよかろうという思考上の悪癖がついている。だから心の中で渦巻いている混乱を書き下せずに鬱屈するばかりなのだ。これを矯正するにはまだ時間がかかりそうだ。

そもそもいつ箇条書きが「発明」されたのか知らないが、本来ならば(記述する道具としての)文章の構成単位はパラグラフ、つまり段落であって箇条書きではない。もっとパラグラフを大事にして然るべきだという気付きがあった。書きたいことが最初から用意されているのであればざっと構成を先に書いてしまい、書きたい順に書いていけば良いのだろうが、こういったブログだとかScrapboxといった、うまく言葉になっていないような感情や抑圧を表現するためには、パラグラフの一文字目を起点として思考を掘り下げていくという行為がそもそも「文章にしてみること」の効用なのであるから、散漫に書きたい事柄を先ず列挙して意識の移ろうままにコンテキストスイッチして別の見出しの文章に文字を書き連ねる、といった書き方をするのは、甚だ思考の遠回りになってしまうので辞めるべきだなと痛感したのであった。

その点Scrapboxは即座に箇条書きを用意できるようなインターフェイスになっているし、Scrapbox唯一の「文法」は箇条書きであると言っても差し支えなかろうと思う。そのため良く箇条書きを使って何かを構成しようとしてしまうし、それが本当に必要なのかはあまり顧みられない。とかく、さあ書くぞという段になってからする最初の行為が、箇条書きの点を打つことなのである。

箇条書きそのものが悪いと言いたいのではない。ただ適した対象と適さない対象があるに過ぎないということだ。技術的なコラボレーションや議事録、話題の断片を繋げていくブリコラージュ的な対象であれば箇条書きは非常に強力な表現の手段になると思う。その一方で「自分自身で掘り下げる」ことが必要な行為については箇条書きはマッチしないのではないか。箇条書き自体が思考を逸らすフリッカーになってしまい、思考のコンテキストスイッチを頻発させてしまうためである。

ITエンジニアはこの思考のコンテキストスイッチに関してかなり慣れ切っているので無自覚になってしまっているがよく考えてみてほしい。Slackをはじめとしたツールでは頻繁に通知が別々のチャンネルで発生するし、そもそもPC自体がマルチタスクをサポートしているので必然的に人間もコンテキストスイッチしなければならなくなる。そういったツールを最もよく使う都合上、エンジニアはこの手の思考の中断に違和感を感じない。スマホの登場により強力な通知が発生するようになったことも思考の中断に拍車をかけているし、それをサポートさせるかのようにアプリケーションやSNSといったサービスも発展してきた。だが技術が発展してもなお人間は、内省といった思考の掘り下げを行うためには、文章を書くことを通じて、一つの文脈を連綿と連続させていくことで思考するしかない。それが乱されてしまえば、表面的には何かを言っているように見えるけれどその実は何一つとして思考としての一体性を持たない寄せ集めのことばになってしまう。それでは主張を正確に写し取ることができない。だからとは言わないがWebに載っている技術的情報にはかなり意識が散漫なものが多いように感じる。当然のようにこういったコンテキストスイッチを受け容れて文章がうまく書けるのだろうかと疑問に感じてしまう。

そういったわけで、PCでこういった日記を書こうとすると、コンテキストを乱されないようにかなりの忍耐が必要になってしまうし、そのプラットフォームがWeb UIであれば、コンテキストを乱す筆頭格であるSNSと同じプラットフォームで書くことになるのでなかなか集中するのが難しい。iPadもこうした物書きがしやすいが、PCよりも通知がよく飛んでくるし、アプリの切り替えを頻繁に行えてしまう。まあこれも利用者である自分がよく気を付けておけば良いという結論に落とし込むことだってできるが、では他の人はこういった文章を書くときに全く意識を乱されることがなくて自分の集中力に難があるのか、それとも皆思考を混乱させられて苦悩しているのか、計りかねるところがある。